衆生の至誠心に就いて(終)
【明治から大正にかけて活動されたお坊さんの文章を紹介しています。現代のお経ではないかと思っています】
☆ ⑧霊性的至誠
霊性は人類精神中最高部位の部に属す。如来の霊を感じ佛知見に依って啓示せらるゝのはこの仏性なり。佛弟子及び菩薩佛等が最勝の霊たる所以は、この性能(ちから)の能(よ)く発達して働くが為なり。この性は無限の大霊に接触し霊界の清浄微妙を感受し、如来の相好色身を観じ、浄土の衆宝荘厳等を見る機関なり。
教祖世尊が菩提樹下の金剛座上にて朗然(ろうねん)として大悟せられしは、この性(しょう)が円満に開発あらせられしを云うのみ。キリストがヨルダン河の上にて聖霊を感じたるも、この性が開けたるを意味するものなり。
心霊界の太陽と仰ぐ無量光如来の光が、浄満月に反映したる釈尊の正覚(しょうがく)は、この性に於いてす。教祖はこの霊光を以って一切の人類を導きて永遠の光明に入らしめ玉へり。永劫の大霊光(おおみひかり)は常に照臨し給えども、霊性いまだ開けざる人は、これに感触すること能(あた)はず。日光常に照らせども盲人は見るべからざるが如し。
しかし前に述べたる天性の人は、誠というも未定にて、理性の人は意識的の理が判るだけ真実(まこと)も為し、また虚仮をも為す。霊性の人は純誠にして虚仮なることなし。予は至誠の体を顕わす為にかく区別したるも、天性と理性との人は往生不可というにはあらず。たとへ殊に天性といへども霊性伏在して至誠なきにあらず。天性の人といへども信仰に入って光明に接せば霊性開くことを得、いわんや理性を開きし人に於いてをや。
至誠の体は霊性によりて顕わる、この霊性の内容を充実せしめ、実質を形成せんには如来を信じ如来を愛し、浄(きよ)き霊国(みくに)に生ぜんと欲する、信と愛と欲とを以って、至誠の内容を充実せしむべし。
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