二、選擇(せんちゃく)の道詠。その2
【明治から大正にかけて活動されたお坊さんの文章を紹介しています。“宗祖の皮髄”から。現代のお経ではないでしょうか】【前回からの続きです】
④ 王三昧の故=「仏法に無量の三昧門あり。中(なか)に就いて念仏三昧の王たる所以は、他の一切の三昧は唯、一門のみを掌(つかさど)れども、念仏三昧は一切の三昧を摂して遺(のこ)すこと無し。三世諸仏悉く念仏三昧にて最正覚を成(じょう)ぜり」と般船讃(はんじゅさん)に明(あか)せり。
⑤ 直弁(じきべん)の故=往生要集に明せり。「他の一切の行は往生の為にと回向せざれば往生の業とならず。念仏はもと往生の行の故に、別に回向せずとも直ちに弁ずる故に」
⑥ 萬機普益(ばんきふやく)の故=集(しゅう)〔これまでのいろんな書物、という意味?〕に「念仏は一切の老少男女共に、行住坐臥、時処諸縁(じしょしょえん)を嫌はずして行ずることをう、最も修し易(やす)きが故に、萬機(ばんき)を摂す」
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③ 名号は聖種子の故に【前回の☆〔い〕の三義の③です】
問う、仏教にて佛種子と云うことは、仏性と共に本有(ほんぬ)なるか、将(は)〔もしくは〕た新薫(しんくん)なるか。法華等にも「佛種は縁より生ず」と説けり如何(いかが)。答ふ、唯識等に依れば種子に本有と新薫とあり。本有種子は仏性にて衆生法爾(しゅじょうほうに)として具す。新薫は名言薫習(みょうごんくんじゅう)即ち名言の種子が八識中に伏在して、自体果(じたいか)を生ずる能力なり。
色心が萬法を現象する生産の起元作用の力、例えば植物の種子に生産の起源作用ある如く、生物の原形質が種子の細胞に入りて種子と為り、一切の枝葉根茎等が嵌め込み式に伏在して縁を待ち、漸々(ぜんぜん)に発展し顕現する如くに、聖種子の名号が衆生の仏心に薫じて、その原形質に一切萬徳が嵌め込み式に伏蔵して、やがて円満に成熟するに及びては、諸仏の果位に至るの徳を具するなり。
佛種子とは元照(がんしょう)云わく、「問う四字の名号は凡下(ぼんげ)常に聞く、何の勝能ありてか衆善に超過せるや。答佛身は相に非ず果徳は深高(じんこう)なり。嘉名を立てずば妙体を彰(あら)はすこと莫(な)し。十方三世の諸仏皆異名あり。況(いわん)や我が弥陀は名を以って物を摂す。
是を以って耳に聞き口に誦(じゅ)すれば無辺の聖徳識心に覧入(らんにゅう)し永(なが)く佛種と為り、頓(とみ)に憶劫の重罪を除き無上菩提を獲得す」と、人の本有の性は無上性にて而(しか)も一切の種子を薫習する性能あり。
若し基督(キリスト)と云う宗教的原形質が薫染すればクリスチャンと為る、若しマホメットの原形質が入ればマホメットが種子と為る。今は衆生の仏性に阿弥陀仏の聖原形質が播下(ばんか)して、頓(やが)て佛子の面目を顕(あら)はす。即ち宗祖はた教祖の如き霊格と為るのも種子にして、是れ我が祖が仏教中に最勝最上の聖種子を選びたる所以なりとす。
次回へ
次回は、選擇(せんちゃく)の道詠の(2)衆生の至誠心に就いて、です。
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