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2009年1月11日 - 2009年1月17日の1件の記事

2009年1月17日 (土)

心霊不滅 3

【明治から大正にかけて活動されたお坊さんの文章を紹介しています。現代のお経ではないかと思っています】

 実相論的に衆生に、生滅と不生滅との二種ある事を説かば、天台は実相論である。空間的である。先ず、宇宙大霊の分子たる衆生心に、本然(ほんねん)として迷悟善悪十界の性能、具(つぶさ)に具す。即ち衆生心に生滅する方と不生滅との両面ありて存す。然(しか)れども不生滅の仏慧(ぶつえ)の性、本然有(も)っておりながら自覚せぬ故に、生死に流転するものを迷いの凡夫と云い、之を六道と云う。

 彼等は不生滅の性(しょう)を有って居ても、開示し悟入する事をせぬ故に、唯(ただ)生滅の方にのみ迷うて惑(まど)いて業を造り、業の勢力に縁(よ)りて生(しょう)を享(う)く。迷いの中(うち)に於(お)いても、自ら因縁に随(したが)って善と悪との業に軽重ありて、三悪三善道と分かるるのである。生(しょう)また業を造り死また生(しょう)を招き輪廻止む事なし。之を生滅に迷う衆生と云う。

 四聖法界(ししょうほうかい)とは声聞(しょうもん)、縁覚(えんかく)、菩薩(ぼさつ)、仏(ぶつ)である。衆生が自己の心霊の根底に不滅の霊性、具(ぐ)するを覚知し、仏陀先覚者の教えを聞き、生死の苦の源を諦(あき)らめ、苦の本(もと)は煩悩であると煩悩を断じ、寂滅涅槃即ち不滅の霊界を諦(たし)かめ、此れに入らんとするのには真空無我の道を修(しゅう)せねばならぬと、ついに煩悩の生死の小我を滅して、真空無我の涅槃不滅を証得したるを羅漢と云う。

 天台には、自己の心性本自百界千如一念三千具足するも、開示して仏慧(ぶつえ)現前する時は、仏陀と同じく証(さとり)なれども次第六即あり。正(まさ)しく信じ得る時は、早晩仏性現前すべし。

 若(も)し人の心性(しんしょう)を両断せば、滅と不滅との二性(にしょう)である。肉我の主として諸煩悩に依るの生命は、必ず滅に墜(お)つ。若し霊性に随って生活せる者は、永遠不滅に向かう。前は迷者暗黒の生活、後者は悟者光明の生活なり。前者のみ発展せるものには、人は死すれば滅する者と思う。永遠の生命未だ現前せざる故なり。霊性現前すれば自ずから信認す、自霊永遠不滅の真なる事を。昨日まで自己の不滅を信ぜざる者も、若し一度(ひとたび)大霊の光明に接して霊性現前せんか、忽(たちま)ちに永遠不滅の真理を信じて疑わざるに至らん。

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