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2009年6月7日 - 2009年6月13日の5件の記事

2009年6月12日 (金)

親縁の中心は愛

 【明治から大正にかけて活動されたお坊さんの文章を紹介しています。現代のお経ではないでしょうか。・・・「光明の生活」より】

 宗教的関係の中心真髄は人の心情にありとせば、人の心情中に於いて全く我と彼とを同一視し、また生佛一体の観念たらしむるものはいかなるものぞ。そは人の心情の愛なるもの之なり。世に極端なる利己主義を主張するもの謂(おも)へらく、すべて生物は本能的に利己主義なる者、己(おのれ)を愛するを外(ほか)にして他を愛するは本能にあらずと。 

 吾人は謂(おも)ふ。そは極端なる利己主義にあらずや。人類には本能の発達の結果、一種不可思議の感情が、人の精神中心に伏在するにあらずや。其れは我と彼とを同一視し、自と他とをして異身同体の如きまでに、利害苦楽を共に感ぜしむるなり。そは何ぞや、人の心情の中心に在りて彼我一体ならしむる愛なるものこれなり。

 愛てふものは最も強き感情の糸をもて我と彼とを繋ぐ。普通はこの感情の最も強きものは親と子の間に、また恋人の間に於いて然りとす。生理的に最も相愛の親密なるは母と子の関係なり。之は本(もと)、母が子に於けるは自己より分出したるものなれば、子に対する同憂同喜は即ち愛てふ血肉を分けたる母と子の自然なり。

 また生理の自然に規定せられたる異性の親愛は最も親密なり。然るに肉体に於ける母子(おやこ)また恋人の間に於いて見るよりは、尚一層、幽微に深邃(しんすい)【おくがふかい】にして彼我の親密なる愛、存す。そは宗教的感情、神人の関係、即ち人が如来に対する霊の恋愛なるものに於いて発見すべし。    

                                   つづく。

 道詠歌

      のぼりゆくつかれも今は覚(おぼ)ほへじ

                  高ねの月を見まくほしさに

                                     次回へ

            

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2009年6月10日 (水)

親愛その2

 【現代のお経とも思われる文章を紹介しています。明治から大正にかけて活動されたお坊さんの言葉です。「光明の生活」より】【前回の続きです】

 麗らかなる春の和(やわらか)き温(あたたか)き霊気に霊酔せば、いつしか憤怒(いかり)、恨戻(うらみ)、嫉忌(ねたみ)、復讐(あたがえし)【ふくしゅう】、などのすべて害他的の悪しき動機は麻痺して、而(しか)して温和、同情、博愛、同喜などのすべての愛他の心情(こころ)起こるならむ。若し人、一たびこの大なる慈愛の浩気(こうき)に呼吸せる霊(きよ)き生活を経験せんか。この霊気を離れたる妖霧魔塵(ようむまじん)の萬丈(まんじょう)なる大気の生息は、実に耐えざる所なり。

 親縁(しんねん)とは如来の無限なる慈愛より、衆生の感情等の内容に加被(かび)し給(たま)う勢力(ちから)にして、人の方より如来を深く愛楽(あいぎょう)し奉(たてまつ)る信念に相応し、融合する本質なり。如来は大慈愛の親縁を以って衆生に加え給ひ、人は愛楽(あいぎょう)を以ってこれを念持し、衆生仏を憶念すれば仏もまた衆生を憶念し給ふ。

 如来を愛し上(たてまつ)れば、如来もまた衆生を愛寵(あいちょう)し給(たま)ふ。相愛親和の相互する所に、不可思議的神秘の融合を感ず。吾人が感情の信念に霊的愛慕し上(たてまつ)る如来の恩容(おんよう)を観じ奉(たてまつ)れば、いと麗しく妙(た)へに、いと勝(すぐ)れて美に威厳、殊(こと)に魏(たか)く相好独り勝(すぐ)れさせ給いて、信念のあるところに表現し給ふは何ぞや。

 如来の勝応身(しょうおうじん)が相好円満にして、いと美しきを示し給ふは、衆生に対する大なる愛の権化にましまさずや。是、大慈悲の表現にましまさずや。之に対する衆生の宗教衝動は霊的憧憬とし、神的恋愛とし之を葵仰(きこう)【仰ぎ敬う】し之を憶念して止(や)まず。斯(かゝ)るを感情の信念とす。

 如来はただ無縁の慈悲を以って遍(あまね)く法界に充満し、而して衆生の精神の内容なる心情に融合し、而(しか)して神秘的に融合し、神人合一の妙機に歓天喜地の感応を人の心情に与え給ひて、世に吹き荒(すさ)む八風の為にも心を動揺せず、いかなる境遇(ばあい)に臨んでも泰然として心広く、体肝(たいゆたか)に自然に幸福ならしむるは、人の情操に与えらるゝ恩寵なり。

 道詠歌

       こゝをぞとさやかに今は見へねども

                 月のかたにぞあくがれにける

                        次回へ

 

 

 

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2009年6月 8日 (月)

親愛 その1

 【明治から大正にかけて活動されたお坊さんの文章を紹介しています。現代のお経ではないかと思っています】

 如来心光の三霊能の中に於いて親縁とは大なる愛、即ち大慈悲心と衆生の感情的信念との感応融合によりて、心情を美化するの霊能なり。即ち太陽の熱線に比例すべきものとす。

 この大慈悲の霊熱に感応する人の心情は平和、歓喜、妙楽、安穏、感佩(かんぱい)【ありがたく心に思うこと】等のすべての心理上の、最も優美なる高尚なる微妙(みみょう)なる甚深(じんしん)なる言うべからざる不可思議的感情の状態なり。

 例えば若し太陽の能力より起こす所の温熱なからんか【なかったとしたならば】、地上の有機物が生存し能(あた)わざると同じく、如来大慈悲の霊力に依らざれば、人の聖(きよ)き生命は生存すべきものにあらず。大なる愛の光は温和柔軟(おんわにゅうなん)にして、能(よ)く人の心霊を生息せしむ。新鮮なる活気は聖(きよ)きに呼吸せしめ、三昧の妙味に霊の生命は保存せらる。無限の妙楽と自然の歓喜とは如来の泉より湧く。 

 されば人は如何(いか)なる嶮(けわ)しき艱難(かんなん)の坂、困苦の峠に臨んでも、または失敗の谷に陥(お)ち、失意の抗(あな)に陥(おち)いるも、暖かなる慈愛の光は照らさぬ隅(くま)なく、平和と慰藉(いしゃ)【同情して慰める】とは何(いず)れの時にか与え給(たま)はざらむ。

 如来の慈愛の温熱(あたたかみ)は人をして、寒慄(みぶるい)せしむる畏怖(おそれ)にも憂悲苦悩(しんぱいなやみ)のなかにも、その心情(こころ)を融和(とか)して而(しか)して、安穏と歓喜とに美化せしむ。

 道詠歌

       朧夜(おぼろよ)のこゝとさやかに見へねども

                     月のかたにぞあくがるゝかな

                              次回へ続けます。

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2009年6月 7日 (日)

仏心は大慈悲

 【現代のお経では、とひそかに思っているお坊さんの文章(光明の生活)を紹介しています。明治から大正にかけて活動されました】

 如来は大慈愛の化現(けげん)、全体愛にまします。経に仏心を観る者は亦(また)仏心を見る。仏心とは大慈悲是(これ)なりと。仏心の相好円満、無尽の光明全く愛ならざるはなし。

 故に大愛の権化たる仏(ほとけ)の相好を瞻(みあげ)るときは、満腔の慈愛にうたれて仏心の大慈悲なることも思わざるをえぬ。如来が全体愛を持って光明常に我らに注ぎて愛化し玉ふ。此の慈愛に育まれたる我らは、満腔の愛を以って如来を憶念せざるをえぬ。

       ―――――――――――――――――――――――――――

 【仏のはたらきを象徴した十二光佛を此のお坊さんは、歌にしています。その三つは前回、前々回で紹介していますので、後の九佛の歌を紹介しておきます】

 無對光(むたいこう)

    たくらぶるものこそなけれいと尊(たか)き

               わがみほとけの照らす光に

 炎王光 

    いかばかり罪の薪(たきぎ)はつもるとも

                焼きつくすなり弥陀の光は

 清浄光

    見るにつけ聞くにつけても染(そ)みやすき

                  心をきよき光とぞする

 歓喜光

    歓びの光にあはゞとことはに

                のどけき春の心地こそすれ

 知慧光

    みほとけのさとき光に照らしみよ

                みな実相のすがたなりけり

 不断光

    断(た)えなくば海水(わだつみ)さへもくみつくす

                  何ごとかそもならざらめやは

 難思光

    目にみえぬ思ひにもまた及ばぬは

                 光にふれし心なりけり

 無稱光(むしょうこう)

    うれしともまた楽しとも言の葉に

                 及ばぬ光にあふ心地かな

 超日月光

    月も日も及ばぬ人のこころまで

                 照らすほとけの光なりけり

                           次回へ

             

    

 

 

 

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三縁(さんえん)

 【明治から大正にかけて活動されたお坊さんの文章〔光明の生活より〕を紹介しています。現代のお経ではないかとひそかに思っています。】

 如来より衆生に対する光は三縁(さんえん)にて即ち恩寵である。恩寵=(光明)を被(こう)むる人の信仰に三心あり。近縁(ごんねん)は信。親縁(しんねん)は愛。増上縁(ぞうじょうえん)は欲、に対する関係にて。如来の知恵と慈悲と威力とが、衆生の三心の関係に三縁となるわけである。

   〔親〕                                〔子〕

      知恵‥‥‥‥近縁‥‥‥‥‥(形式)‥‥‥‥信念    

      慈悲‥‥‥‥親縁‥‥‥‥‥(内容)‥‥‥‥愛念    

      同化‥‥‥‥増上縁‥‥‥‥(活動)‥‥‥‥欲念 

 ☆至心(ししん)に深く信ず

 自身は罪悪の凡夫なれども如来無上の願力を以って必ず我を摂取したまうことを

 ☆至心に深く愛す

 如来無上の慈悲を以って衆生を愛したまふが故に我もまたすべてに超えて如来を愛楽(あいぎょう)したてまつる

 ☆至心に深く欲望す

 真善美の霊国に生まれて聖(きよ)き世継ぎとならんことをまたすべてと倶(とも)に安寧を得んことを

                                 次回へ

 

  

  

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