親縁の中心は愛
【明治から大正にかけて活動されたお坊さんの文章を紹介しています。現代のお経ではないでしょうか。・・・「光明の生活」より】
宗教的関係の中心真髄は人の心情にありとせば、人の心情中に於いて全く我と彼とを同一視し、また生佛一体の観念たらしむるものはいかなるものぞ。そは人の心情の愛なるもの之なり。世に極端なる利己主義を主張するもの謂(おも)へらく、すべて生物は本能的に利己主義なる者、己(おのれ)を愛するを外(ほか)にして他を愛するは本能にあらずと。
吾人は謂(おも)ふ。そは極端なる利己主義にあらずや。人類には本能の発達の結果、一種不可思議の感情が、人の精神中心に伏在するにあらずや。其れは我と彼とを同一視し、自と他とをして異身同体の如きまでに、利害苦楽を共に感ぜしむるなり。そは何ぞや、人の心情の中心に在りて彼我一体ならしむる愛なるものこれなり。
愛てふものは最も強き感情の糸をもて我と彼とを繋ぐ。普通はこの感情の最も強きものは親と子の間に、また恋人の間に於いて然りとす。生理的に最も相愛の親密なるは母と子の関係なり。之は本(もと)、母が子に於けるは自己より分出したるものなれば、子に対する同憂同喜は即ち愛てふ血肉を分けたる母と子の自然なり。
また生理の自然に規定せられたる異性の親愛は最も親密なり。然るに肉体に於ける母子(おやこ)また恋人の間に於いて見るよりは、尚一層、幽微に深邃(しんすい)【おくがふかい】にして彼我の親密なる愛、存す。そは宗教的感情、神人の関係、即ち人が如来に対する霊の恋愛なるものに於いて発見すべし。
つづく。
道詠歌
のぼりゆくつかれも今は覚(おぼ)ほへじ
高ねの月を見まくほしさに
次回へ
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