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2009年5月31日 - 2009年6月6日の4件の記事

2009年6月 6日 (土)

聖(きよ)き同胞

 【明治から大正にかけて活動されたお坊さんの文章を紹介しています。現代のお経ではないかと思っています】

 唯一の大慈父の光に由(よ)って、如来の聖子(みこ)たることを自覚し、人格も一変し来たりて観ずれば、一切の人類は本(もと)一人の慈父によりて、互いに同胞なる事を信ぜらる。然(しか)るに世の人々は、唯肉体ばかりを我と思うて、霊の大慈父在(まし)ますことを識(し)らぬ。故に全く同胞の真意が表れぬ。

 慈父の光によらず、自ら闇と悩みと罪とに埋もれたるものに対して同情に耐えぬ。願わくば同胞に大慈父の在(おわ)すことを信ぜしめ、大光明の中に共に光栄をうけ、共に霊福をわかち、永遠にまで大安寧(だいあんねい)を得んことを望み、相携(あいたずさ)えて光明の中に益々霊(きよ)きに向上せんことを祈るものである。

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 米粒上人‥‥こんな呼ばれ方もされていたということです。歩きながら米粒に南無阿弥陀仏の名号を書いたりしたとか。

   道詠歌   十二光のひとつ 無碍光(むげこう)

       世の人の心を照らすみひかりは

               いかなるものもさへぬなりけり

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2009年6月 5日 (金)

子等【こどもたち】が汚(けがれ)を聖(きよ)む。

 【現代のお経ともいうべき言葉を紹介しています。明治から大正にかけて活動されたお坊さんの文章です】

 宇宙観無量の世界に生きとし活けるものとして悉(ことごと)く皆、如来の子にあらざるものなし。

 故(ゆえ)に経に「三界我有(さんがいはわがもの)其中衆生(そのなかのしゅじょう)は悉(ことごと)く皆我子(みなわがこ)」と示されている。我等は本(もと)如来の聖子(みこ)たる霊性を持って居る。例えば純金も本は鉱垢(こうく)の中にあった如く、衆生の心霊は煩悩の垢の中に存す。

 故にこの汚れを清(きよ)むるにあらざれば聖子の霊徳は顕われぬ。然らば如何にして我等(われら)は聖めらるゝことが出来よう。そは教祖釈尊の教えに随(したが)いて如来の光に触れて初めて心霊は清めらるる。

 如来の霊光に感ずるときは闇と悩みと罪との汚垢(けがれあか)より清められ、霊に充たされて意(こころ)と共に身も柔和温良となり、如来の円(まどか)なる人となり、心広く体豊かに、平和と歓喜とに満たされ、いと霊福の心の生活をなし得られ、また如来の聖意を身と意(こころ)と口との行為の上に現れるよう為したもう。

 経に「其れ衆生ありてこの光に会うものは三垢(さんく)消滅し身と意(こころ)と柔軟(にゅうなん)に歓喜勇躍(かんぎゆやく)して善心生ず」と示されたり。

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 このお坊さんの道詠歌です  十二光のひとつ 無邊光(むへんこう)

        世を照らすさとりの海はそこひなく

                 またほとりなき光なりけり

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  大慈父

 【現代のお経とも言うべき言葉を書き残された、お坊さん(明治~大正)の文章を紹介しています】

 宇宙に唯一の大慈父とはいづれに在(まし)ますや。釈尊の本地【おられる場所の】一切聖人の【が】共に褒め称えて、止(やま)ざるところの如来にて、宇宙最高の淨(きよ)きところに在(ましま)して慈悲と威神(いじん)との光明を以って一切の人類の心の闇と悩みと罪との汚(けが)れより救霊の霊力を与えたもう最尊者に在ます。

 たとへば世界の一切の生物は太陽の光に依(よ)らざれば生存すること能(あた)わざる如(ごと)く、人の心霊は大慈父の慈愛の光明に由(よ)らざれば生存すること能(あた)わず。如来は心霊界の大日輪にして一切の人類を永恒(えいごう)の光明中におさめて聖(きよ)き生命に霊化し光明の裡(うち)に聖き人とし円満なる霊格としたまう大慈父にまします。

  経に『如来威神光明最尊第一にして諸仏の光明及ぶこと能(あた)わざる所なり』と。また『如来は光明あまねく十方世界を照らし念仏の衆生を摂取(せっしゅ)して捨て玉(たま)はず』とあり。唯一の慈父の光明の外(ほか)に衆生の心霊を救うものあることなし。

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 このお坊さんは道詠歌=昔なら和歌、現代なら短歌、をたくさん詠んでいます

 十二光のひとつ  無量光(むりょうこう)

 ☆ 量(はか)りなき三世(みよ)の佛(ほとけ)のかずゝゞは

                      ただみひとりのわかれなりけり

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2009年6月 4日 (木)

釈尊出世の本懐(しゃくそんしゅっせのほんかい)

 【釈尊の残されたお経は、二千年以上も前のものらしく(不勉強なのです)、方便という方法で、弟子たちをを導こうとしているように思います】

 【その釈尊が入られた悟りの世界に、その世界に入られたのではないかと思われるお方が、この日本に現れました。そのお方は明治から大正にかけて活動された、浄土宗系のお坊さんです】

 【そのお坊さんが現代のお経ともいうべき言葉を文章に残しております。その文章は、方便という形ではなく、現代人もうなずけるような、たとえを持って仏の心を、真理を語っているように思えるのです】

 【例を挙げれば、『渋柿も太陽の光に当たれば、甘柿となるように、人の心の煩悩も仏の光を受けることによって清き心となる。煩悩即菩提である』といったように】

 【その現代のお経とも言うべき文章に接してほしく思い、ここに写し取りたいと思います】

     釈尊出世の本懐。

 釈尊この世に出(いで)ましなされて、生涯にわたってもっぱらお力を尽くしなされた御本懐(ごほんかい)は、那邊(なへん=どこ)にありやとなれば、それは世のもろもろの衆生が、心の闇と悩みと罪とにより、闇のうちにさまよいあるを哀れみ、すべての人類を明るきと安(やすき)と聖(きよ)きに復活させ而(しか=そう)して円満なる人とし永遠の光明に導かんがために世に御出ましなされた。

 経に「如来無尽大悲を以って三界を哀れみ、光(ひろく)道教(=おしえのみち)を開き、群萌(ぐんもう)を救わんと欲し、恵むに真実の利を以ってす」と。恵むに真実の利とは如来の慈父の光明を獲得して聖き人と生まれ変わって現世を通じて永遠の生命を得(え)せしめんとの御慈悲なり。

 【私心(わたくしごころ)が感じられないこのお方の文章は、本当に心地よいです】

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