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2009年9月15日 (火)

 衆生の至誠心について・・(つづき)

 【明治から大正にかけて活動されたお坊さんの文章を紹介しています(宗祖の皮髄より)。現代のお経ではないかと思っています。(宗祖の皮髄)より】

 ☆ ④至誠は内容を要す

 至誠心(まごころ)は純粋なる天真なる心なり。之は純粋なる水に類すべきもの、清浄なれども至誠心の自性は形式なり。例えば純なる水の淡白は無色無味無臭なる如く、これに馥(かぐ)わしき香りを放ちて咽喉を悦ばす甘露の味の如き飲料に為(せ)んには、それに調合する美味と香料とを要す。

 誠は最も強固なる根底なり、この根底の上に建設したる建築物は傾倒の憂いあることなし。誠は形式にて必ず内容を要すべし。彼の如来の本願に「至心信楽欲生我国、乃至十念若不生者不取正覚」と。されば誠を充実せしむる内容は、弥陀の聖意(みごころ)に相応する信、愛、欲、是なり。

 曰く至心(まごころ)に如来を信じ、至心に如来を愛し、至心に浄土へ生まれんと欲するなり。誠の本体は如来の法身(ほっしん)にして衆生は法身の一分なり。奥底には大法身の連なれる法身なる誠の性を有す。信と愛と欲との内容を充実せしむるは、報身佛の智慧慈悲等の本願力なり。人は誠の性を具有すれども、天然素朴の間は未だ光を顕わさず。

 誠すなわち真實心が全く顕現するは自性天真我として、如来の形式の上に於いて一致する時なり。然れども内容を充実せざれば萬徳円満なる仏(ほとけ)と成ること能(あた)わず。それを充実せしむるは信、愛、欲の信仰と如来の本願力とに依るなり。

 真実と虚仮とは、例えば果實の類に於ける種子が全く熟して、生産作用を生ずるに至れば、誠lの内容も充実し全く種子の資格を具(そな)う。人も仏の子として至誠の上に信楽欲生の心を以って念仏し、業事成弁する時は果実の成熟したる如く、聖(きよ)きに生きる生産作用の功、熟したるなり。ただ虚仮の皮殻(かわ)のみにて核なくんば種子の功を認むこと能(あた)わざるなり。

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