« 永遠に輝く霊的人格 | トップページ | 二、選擇(せんちゃく)の道詠。その2 »

2009年8月14日 (金)

二、選擇(せんちゃく)の道詠

 【明治から大正にかけて活動されたお坊さんの文章を紹介しています。‘宗祖の皮髄’より】

 二、選擇(せんちゃく)〔劣るものを避け、すぐれたものを選び取ること〕の道詠

 阿弥陀佛(あみだぶ)と云ふより外(ほか)は津の国の難波(なにわ)の事もあしかりぬべし

 (1) 法と行とに就いて

 宗祖〔法然上人のことです〕は一切経より

    法   名号(最勝の法) ① 名体不離の故(ゆえ)

                    ② 満徳総持の故

                    ③ 聖種子の故

    行   念仏(最易の行) ① 弥陀本願の故

                    ② 父子合意の故

                    ③ 親縁の故

                    ④ 王三昧の故

                    ⑤ 直弁の故

                    ⑥ 萬機普益の故 

 我が祖〔法然上人〕が開宗の標準は他宗の祖師と趣を異にす。伝教大師の台宗に於ける、弘法大師の密教に於ける、何れも入唐して有縁の宗師に就いて伝法相承し、帰朝の後その宗を弘められしが、我が祖は選擇(せんちゃく)的主義を以って開宗せられたり。

 宗祖の選擇の目標とし給ひしは法と行とにあり。法は一切経中にて最勝〔もっともすぐれて〕最上を選び、行は一切行の中(うち)に至易至簡(しいしけん)〔容易、簡単〕を選び給う。故に他師の開宗の年齢に比すれば最も晩年に開宗されたり。

 宗祖は疾(と)〔速やかに、急ぎ〕くに出離の志を発こし、衆多と共に平等一慈の下に得度せんとの念願にて、二十五年間一代の経および一切の章疏(そうしょ)〔意見を述べたもの〕に至るまで悉く研究し比較し、非常なる苦心の結果、漸く導師の観経の疏(しょ)、一心専念乃至順彼佛願故の文に端緒を開き、念仏に過ぎたる行(ぎょう)なきことを確かめて専修一行の宗を開き、後に選擇本願念仏集を述べてその心を明かし給へり。

 ☆〔い〕 法の最勝〔最も勝れている〕なることを述ぶるに三義(さんぎ)あり。即ち、

   ① 名体不離(みょうたいふり)の故・・・ ② 萬徳総持(まんとくそうじ)の故・・・ ③ 聖種子(せいしゅし)の故・・・

 ① 名体不離=談義に「至極(しごく)大乗ノ意(こころ)ハ体(たい)ノ外(ほか)ニ名ナク名ノ外ニ体ナシ」と。弥陀の萬徳悉く名号に摂在(せつざい)する故に、名号を稱(とな)へる時自然に萬徳具(そな)わるなり。また名を稱(しょう)すれば如来の徳が自然と彰(あら)はる。

 二祖は之を喩えを以って述べられたり。「譬えば人の名を呼べばその人を思い出す如く、弥陀の名を呼べば直ちに弥陀を思う」と。例せば太陽と云わば名に就いて太陽を思うが如く、弥陀の名を号(よ)ぶ時即ち弥陀を思う。さればとて口に名を稱するも意(こころ)が弥陀に相応せざれば体(たい)を離れたる名にして實(じつ)はなきなり。

 ② 萬徳総持=選擇集に「弥陀一佛に所有(あらゆる)四智三身十力乃至一切内證外用(ないしょうげゆう)の功徳悉(ことごと)く名号の中(うち)に摂在す」と委(くわ)しくは集(しゅう)の如し。他師の説なれども弘法大師は経を引いて、「阿字十方三世佛、弥字(みじ)一切諸菩薩、陀字八万諸聖教、皆是阿弥陀佛」と釈(しゃく)し、また源信僧都(そうず)は、阿弥陀の三字を法報応(ほっぽうおう)の三身、空仮中の三観(さんがん)、法般解(ほっぱんげ)の三徳等に配せり。名号は萬徳悉く総持するが故に最勝たり。   

 ③ 聖種子=この事は後に説明す。

 ☆〔ろ〕行に就いて念仏を選ぶに、今しばらく念仏が余行(よぎょう)より弥陀に親しき種々の義あることを挙げれば六義あり。即ち、

  ① 弥陀本願の故・・・  ② 父子合意の故・・・  ③ 親縁の故・・・  ④ 王三昧の故・・・ ⑤ )直弁(じきべん)の故・・・  ⑥ 萬機(ばんき)普益の故・・・

 ① 弥陀本願の故=導師の一心専念乃至順彼佛願故の文(もん)、是れ宗祖が諸行の中(うち)に選んで念仏に帰し給ひし所以。

 ② 父子合意の故=佛(ほとけ)は是れ大慈父、我らはその子なり。父が子に対し、子が父に対し、一心に念仏すれば必ず父子合意契合(けいごう)して直調(じきちょう)をうること念仏に過ぎたるはなし。

 ③ 親縁の故=導師の「衆生行を起こし、口に佛(ほとけ)を稱(しょう)すれば佛これを聞き給ひ乃至意(こころ)に佛を念ずれば佛便(ほとけすなはち)之を知り給ひ、衆生佛を憶念すれば佛も衆生を憶念し給ふ、彼此(ひし)の三業相離れず故に親縁と名ずく」と。世間にも親子名を呼び交わすは最も親しみを親密にす。導師が「偏(ひとへ)に念仏の衆生を摂す」と云うは極めて親密の語なり。

              途中ですが次回へつなげます。

     

                            

 

|

« 永遠に輝く霊的人格 | トップページ | 二、選擇(せんちゃく)の道詠。その2 »

学問・資格」カテゴリの記事

宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/461377/30885695

この記事へのトラックバック一覧です: 二、選擇(せんちゃく)の道詠:

« 永遠に輝く霊的人格 | トップページ | 二、選擇(せんちゃく)の道詠。その2 »