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2009年7月26日 (日)

 我が子を愛するミオヤの大悲 その二

 【明治から大正にかけて活動されたお坊さんの文章を紹介しています。現代のお経ではないでしょうか】

 一切衆生は肉体我より見れば衆生の子即ち人の子である。然れども奥底に潜伏して居る仏性から思えば仏の子である。仏性は仏の慈悲に愛育霊化せられざれば霊性は顕道し難し。例えば人類は一切の動物中に最も発達したる理性的動物である。然るにたとい人類の子と雖も幼少の時より人の手に依りて教養薫陶せられざれば言語動作知識等が開発し顕道することが出来ぬと。

 或る人山中に遊猟して野獣に等しき人の子を捕獲す、其の形人類にはあれども匍匐(ほふく)すること獣類の如し。人これに銃を向けるに吼音(ほえるこえ)を発(おこ)して言語なし。竟(つい)に此れを捕獲して家に至れり。後に言語等を教養するに人と同じく発するに至れりと。蓋(けだ)し察するに一婦人が嬰児(あかご)を抱(いだ)きて山中にて猛獣の為に噉(か)まれて、然るに天真の嬰児は獣類敢えて噉まずして之が獣類に養われてありしならんと。

 たとえ人類の子たりとも嬰児は匍匐す。母之を起たしめ歩行せしむ。また言語等も教ゆるが故に自然と言語を操り、ついに自在に意思を弁ずるに至る。若(も)し四圍(しい)〔周囲〕の薫陶なき時は、人間としての言語四威儀〔振る舞い〕等も具備せざるや必せり。人類の子たるも獣類の手に養わしめば、人類としての知識も啓発出来ず。人格も備ふること能(あた)はざるが如く、人仏性を具有するも師友善知識等の法界等流(ほうかいとうる)の仏法に遇い、仏の慈悲光明に摂化せらるゝにあらあざれば仏性顕現し難し。

 衆生の仏性は常に念仏三昧に依りて、如来の恩寵を養成霊化せられざれば霊能顕われ難し。

     道詠歌

           呼ぶ御名(みな)に心の玉もみがゝれて

                       みだの光は映(うつ)ろひにけり

                                 次回へ

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