仏心は大慈悲
【現代のお経では、とひそかに思っているお坊さんの文章(光明の生活)を紹介しています。明治から大正にかけて活動されました】
如来は大慈愛の化現(けげん)、全体愛にまします。経に仏心を観る者は亦(また)仏心を見る。仏心とは大慈悲是(これ)なりと。仏心の相好円満、無尽の光明全く愛ならざるはなし。
故に大愛の権化たる仏(ほとけ)の相好を瞻(みあげ)るときは、満腔の慈愛にうたれて仏心の大慈悲なることも思わざるをえぬ。如来が全体愛を持って光明常に我らに注ぎて愛化し玉ふ。此の慈愛に育まれたる我らは、満腔の愛を以って如来を憶念せざるをえぬ。
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【仏のはたらきを象徴した十二光佛を此のお坊さんは、歌にしています。その三つは前回、前々回で紹介していますので、後の九佛の歌を紹介しておきます】
無對光(むたいこう)
たくらぶるものこそなけれいと尊(たか)き
わがみほとけの照らす光に
炎王光
いかばかり罪の薪(たきぎ)はつもるとも
焼きつくすなり弥陀の光は
清浄光
見るにつけ聞くにつけても染(そ)みやすき
心をきよき光とぞする
歓喜光
歓びの光にあはゞとことはに
のどけき春の心地こそすれ
知慧光
みほとけのさとき光に照らしみよ
みな実相のすがたなりけり
不断光
断(た)えなくば海水(わだつみ)さへもくみつくす
何ごとかそもならざらめやは
難思光
目にみえぬ思ひにもまた及ばぬは
光にふれし心なりけり
無稱光(むしょうこう)
うれしともまた楽しとも言の葉に
及ばぬ光にあふ心地かな
超日月光
月も日も及ばぬ人のこころまで
照らすほとけの光なりけり
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