親縁の中心は愛 その2
【明治から大正にかけて活動されたお坊さんの文章を紹介しています】
宗教的中心たる心情に神秘的神人合一、生佛感応し小我大我の冥合せるより来たりし霊愛の如きは、肉我の間に於いて見るよりはいかにそれ親密なるぞ。宗教中心真髄たる心情の心念に於いて最も神人の関係を親密にして、彼我一体の観念たらしむるものは愛なりとす。
吾人無始より已来(このかた)無明に覆(おほ)われて、罪に滅びて空しく貧里(ひんり)に苦しみ生死にさまよひぬること、全く自性天真の父母に離れし故なれば、真に父母を恋念の情に勝(た)へず。また霊(きよ)き生命に入らんには、大なる愛の表れたる舎那円満(しゃなえんまん)の月の容(かお)を見まほしく、宛(さなが)ら恋人のそれに類比せり。肉我に迷ひて未だかって真の大我を自ら覚知せず、生死に流転して転々休止することなし。
生死を超絶せる処の大我に、帰命融合を求めて絶対的の大安立(だいあんりゅう)を得んとす。此の親縁は如来の内容たる大なる慈愛によりて、衆生の感情を融合し感化し、人の肉血までを愛化し霊(きよ)き生活ならしむ。
唯、知力の理論にのみ如来を認むるのみにしては、未だ活ける信仰にあらず。精神生活と雖(いへど)も此の肉血を離れて活動すべきにあらず。常に如来の慈愛を憶念して久しうするときは、此の血気をして悉(ことごと)く霊化し、而(しか)して麗しき生活を得せしむ。譬(たと)へば香器の中に香を容るゝ時、香器また燻ずるが如く。人、常に如来の大慈愛を憶念する時は、内容自ずから佛化せさるべけんや。此れを親縁と云ふ。
道詠歌
すゝみゆく道の遠さもおぼゝえじ
高峰(たかね)の月の見まくほしさに
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