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2009年6月 5日 (金)

子等【こどもたち】が汚(けがれ)を聖(きよ)む。

 【現代のお経ともいうべき言葉を紹介しています。明治から大正にかけて活動されたお坊さんの文章です】

 宇宙観無量の世界に生きとし活けるものとして悉(ことごと)く皆、如来の子にあらざるものなし。

 故(ゆえ)に経に「三界我有(さんがいはわがもの)其中衆生(そのなかのしゅじょう)は悉(ことごと)く皆我子(みなわがこ)」と示されている。我等は本(もと)如来の聖子(みこ)たる霊性を持って居る。例えば純金も本は鉱垢(こうく)の中にあった如く、衆生の心霊は煩悩の垢の中に存す。

 故にこの汚れを清(きよ)むるにあらざれば聖子の霊徳は顕われぬ。然らば如何にして我等(われら)は聖めらるゝことが出来よう。そは教祖釈尊の教えに随(したが)いて如来の光に触れて初めて心霊は清めらるる。

 如来の霊光に感ずるときは闇と悩みと罪との汚垢(けがれあか)より清められ、霊に充たされて意(こころ)と共に身も柔和温良となり、如来の円(まどか)なる人となり、心広く体豊かに、平和と歓喜とに満たされ、いと霊福の心の生活をなし得られ、また如来の聖意を身と意(こころ)と口との行為の上に現れるよう為したもう。

 経に「其れ衆生ありてこの光に会うものは三垢(さんく)消滅し身と意(こころ)と柔軟(にゅうなん)に歓喜勇躍(かんぎゆやく)して善心生ず」と示されたり。

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 このお坊さんの道詠歌です  十二光のひとつ 無邊光(むへんこう)

        世を照らすさとりの海はそこひなく

                 またほとりなき光なりけり

            次回へ

 

 

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