聖(きよ)き同胞
【明治から大正にかけて活動されたお坊さんの文章を紹介しています。現代のお経ではないかと思っています】
唯一の大慈父の光に由(よ)って、如来の聖子(みこ)たることを自覚し、人格も一変し来たりて観ずれば、一切の人類は本(もと)一人の慈父によりて、互いに同胞なる事を信ぜらる。然(しか)るに世の人々は、唯肉体ばかりを我と思うて、霊の大慈父在(まし)ますことを識(し)らぬ。故に全く同胞の真意が表れぬ。
慈父の光によらず、自ら闇と悩みと罪とに埋もれたるものに対して同情に耐えぬ。願わくば同胞に大慈父の在(おわ)すことを信ぜしめ、大光明の中に共に光栄をうけ、共に霊福をわかち、永遠にまで大安寧(だいあんねい)を得んことを望み、相携(あいたずさ)えて光明の中に益々霊(きよ)きに向上せんことを祈るものである。
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米粒上人‥‥こんな呼ばれ方もされていたということです。歩きながら米粒に南無阿弥陀仏の名号を書いたりしたとか。
道詠歌 十二光のひとつ 無碍光(むげこう)
世の人の心を照らすみひかりは
いかなるものもさへぬなりけり
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