怒りのこころ
たぶん‥‥すべての人は、表面には現れない怒りの心のあることを、気づいてはいるのです。でも、その心を好ましくないこととして、強く意識している人が、どのくらいいるでしょう。この心は曲者です。表面的には、善人として振舞うことができても、心の中を‘善人’としていることは生易しいことではありません(私のことですが)
最近、中高年の’キレル’が、話題になっているようですが、私もその中の一人になりはしないかと、思ってしまうのです。 それも些細な事柄に腹が立つからです。
誰が見ても善くない行動というものは、あまり見ることはありませんが、自分にしか気づかない他者の不快な行動に、腹を立ててしまうのです。そのときの心の中は、乱暴な言葉をつぶやいています。
自尊心、うぬぼれが強いのです。生まれつきの性格というものは、いかんともしがたい、と言いたくなります。
このことについて、皆さんはどう対処していますでしょうか。
積極的な‘修行’というものの必要性を、考えてしまいます。
‘懺悔’でした。
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コメント
コメント拝見いたしました。返事が遅れて申し訳ありません。
又五郎様のコメントは、真実のみを表現しているように思います。中でも私に必要なのは、怒りの心に支配されているときは、自分も苦しんでいるのだという感覚を、身に着けることだと思いました。
怒りの心の状態のときは、場合によっては、好ましくないほうの心が、怒りの心を楽しんでいるのかもしれません。
以前から思っていることですが、私にとって一番厄介な‘怒りの心’これをなくすことができたら、どんなにか‘善い人’になっていることでしょう。自分のことなので、解るのですが、どうもプライドの高さ、自尊心の強さといったものが、大きく関係しているように思います。
というのも、自尊心を傷つけられるような状況にあうと、それが些細なことでも腹を立ててしまうのです。社会的な事柄で怒らなければならないようなことには、結構無頓着なのです。
有言実行。できていませんね。反省しています。
ここのブログの主張は‘好ましい心、良心を信じて育てましょう’そのためには‘悪いことはしない、善い事を行なう’なぜならば‘心は使うほどに育つものだから’というものです。
それに向かってがんばります。コメントありがとうございました。
投稿: mi-ta(ミータ) | 2008年2月 2日 (土) 16時38分
怒りの心というのは、自分の思うようにならない時に、むくむくと起き上がりますね。
でも、自分の思うようになる事はあまりありません。怒ってもしかたないという事に、気がつくかどうかじゃあないでしょうか。
怒りの心を持っている自分自身が苦しいのだという事に気がつくかどうかじゃあないでしょうか。
怒りの心を起こす原因は、自分の心にあるのです。
また、怒りの心を表にだせば、周りの世界も怒りの世界になってしまいます。
そんな世界にいたいのですか?
投稿: 風の又五郎 | 2008年1月30日 (水) 11時37分