全体←→個
博愛とか慈悲の心、あるいは誕生(ビックバン)といった世界は全体を、全体への志向を、また自愛、破壊、消滅、などは個をイメージできます。
こころの善と悪も、全体と個というイメージを描いてよいのではないでしょうか。
人の精神は全体に向かうと、あるいは好ましい精神の世界に‘我(われ)’をおくと充実感、満足感をおぼえるものです。我(われ)をこのましい心の世界におくと充実感を覚えるのはなぜでしょう。一緒に考えてみませんか。これって哲学かも。そして,いきなり突拍子もないことを言い出しますが、
善なる心に、後悔とか、言い訳とかはない。言い訳する心、それは好ましくない心の活動なのだ。
ということについて、次回へつなげていければと思います。
カルテシアン様へ。
パソコン操作に未熟なので、コメントへの返事をここに記します。
コメントありがとうございました。
カルテシアン様の主張を、‘物質的世界は認識という心の働きによって生ずるものである’と受け止めてよいでしょうか。
私自身が、教授の発言に対して疑問に思った点を、再度確認したところ、教授と爆笑問題との対話を何度もチェックすることになってしまいました。でも、おかげで、教授の言わんとすることがわかったように思います。
教授の説明にミスがあると思い、(蛇が白いというのは物の性質で‥‥)というところを、(そう認識するのは心です)、と見当違いの意見を述べましたが、今は、蛇が白い=物質の世界、怖い、かわいいは心の世界、との認識のもとで説明していたのだなと思っています。
カルテシアン様、教授の発言に対する私の指摘はミスでした。ご意見ありがとうございます。また、このブログへのご意見、ご指導などいただけるとうれしいです。よろしくお願いします。
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コメント
人に専門外のことを指導などしたら先生(野矢先生よりエライ)に叱られてしまいますよ、僕は。
野矢先生と同じく、「疑問をそのままにして」おけない性分なだけです。ですので、以下も軽く受け止めてください。
‘物質的世界は認識という心の働きによって生ずるものである’は僕の主張したいところではありません。前回の僕のコメントが分かりにくかったかもしれませんね。
もうひとつ、色彩を哲学的に論じるときには、それ独自の論点があるため、気にかかったのです。
すなわち、世界と心とに二分したとき、色は本当に世界の性質に属するのか?
全体と個。アーサー・ケストラーの二元論を思い出します。
投稿: カルテシアン | 2008年1月13日 (日) 21時57分